ルース・ニコルズ

速度、高度、距離の世界記録を同時に保持した唯一の女性飛行家。
image image
1901年-1960年
1931年2月14日午後4時、ルース・ロウランド・ニコルズが愛機「フライング・ファーネス」のコックピットに乗り込んだ時、彼女は重い飛行服、裏張り付きのブーツ、そしてヘルメットの代わりに紫色のスカーフを身に着けていました。離陸後、騒々しい音をたてるディーゼル機を高度の新記録となる1万9,928フィート(6,074m)まで上昇させましたが、この時シリンダーの内2つが壊れました。マイナス15度の気温下で、ニコルズは冷静を保ちタンクから酸素を吸入しなければなりませんでした。最終的に彼女のロッキード・ヴェガはニューヨーク近郊のフロイド・ベネット空港に無事着陸しました。この偉業の達成中に彼女が頼りにしたのがロンジンのウォッチでした。1931年以降、彼女は主要な飛行には必ずロンジンのウォッチを使用するようになります。

当時ルース・ニコルズは最も有名な「フライガール」の1人でした。その勇気と大胆さにより彼女は国民的アイドルとなったのです。キャリアのスタートは1924年。この年に米国で女性として初めて水上飛行機パイロットのライセンスを取得しました。この頃、空を飛びたい人はたくさんいましたが、実際にそれができるのは恵まれたわずかな人々でした。1928年当時米国に住む2,900万人の女性のうち、飛行士のライセンスを持つ女性の数は十指に満たないほどでした。飛行機の操縦士は、からかいや軽視の対象となることも多かったのです。
ルース・ニコルズは、飛行船、グライダー、オートジャイロ、陸上飛行機、水上飛行機、水陸両用機、単葉機、複葉機、双発機、四発機、そして超音速ジェット機とそれまでに作られたあらゆるタイプの航空機に搭乗しました。
1928年、ニコルズは、彼女の飛行インストラクターとともに世界初のニューヨークからマイアミまでの無着陸飛行を行いました。1930年12月には全米横断飛行を13時間21分で成し遂げ、チャールズ・リンドバーグの記録を打破。翌年、高度2万8,743フィート(8,761m)、速度210.7 マイル(339 km)/時、距離1,977マイル(3,182 km)の世界記録を同時に持つ最初の女性となります。1932年末には民間旅客航空会社の初の女性パイロットとなり、ニューヨーク ‐ ニューイングランド間の定期航路を飛行しました。1939年、このエネルギッシュな女性は緊急救援を行う民間航空輸送サービス、「Relief Wings(リリーフ・ウィングス)」を設立し、第二次世界大戦中にはCivil Air Patrol(民間航空パトロール隊)を支援しました。

ルース・ニコルズは、他にも人道的な活動に携わりました。UNICEF支援活動を企画し、1949年には世界一周飛行を行っています。1958年、ニコルズはデルタダガー機の副操縦士として、速度1,000マイル(1,600 km)/時および高度5万1,000フィート(15,545 m)に到達。57歳で女性による速度と高度の最高記録を更新しました。