ロサンゼルス-シカゴ間のレースを9時間7分で勝利した後のウィリー・ポスト。ニューヨーク近郊のカーティス空港にて。1930/10/25撮影
1931年代に世界一周最速飛行記録を樹立したアメリカの飛行家。最初の与圧服を開発し、ジェット気流を発見しました。
1898年-1935年
強い意志とはこのようなものでしょう。ウィリー・ポストの夢は自分の飛行機を手に入れることでした。しかし、綿花農家の息子に生まれた彼にはその手段がありませんでした。オクラホマの油田で掘削リグの作業員の仕事に就いた若きウィリー・ポストは、苦しい時期を過ごしていました。どうにかしてお金を貯めようと強盗までしたのです。1921年には逮捕され、1年服役しています。その後空中サーカスの落下傘降下役となり、危険と隣り合わせの人生を続けました。もっと稼ぐために油田で働きましたが、事故で左目を失ってしまいます。しかしその和解金で、後の飛行家は最初の飛行機を購入したのです。

富裕な石油業者の専属パイロットとなった時には、当時の最高機種の1つ、ロッキード・ヴェガを操縦しました。1931年6月23日、ウィリー・ポストは、ナビゲーターのハロルド・ギャティとともに、ロンジンのクロノメーターを携えてニューヨークから世界一周飛行に飛び立ちました。
そして8日と15時間51分後、1万5,474マイル(2万4,903 km)を飛行して7月1日に帰還を果たします。初の単発単葉機による世界一周飛行は、1929年にグラーフ・ツェッペリンが樹立したそれまでの記録(21日)よりもはるかに速いものでした。

ポストは1933年に再び世界一周飛行に挑戦しましたが、この時は単独で自動操縦装置を搭載していました。自動操縦装置を3回修理し、プロペラを交換しなければならなかったにもかかわらず、7日と18時間49分で帰還し、記録を更新します。その後も高い高度の長距離飛行を専門としてキャリアを積みます。1934年、ポストは世界初の実用的な与圧服を開発しました。この発明品を着用して、彼は3万フィート(9,144 m)の世界最高高度を樹立し、テスト飛行中には非公式(高度計が凍結)ではあるものの高度4万9,000 フィート(1万4,935 m)に達しました。そして、彼はこの高高度域で、ジェット気流を発見したのです。この偉大なる先駆者は、1935年8月15日、アラスカで離陸中にエンジンの故障に見舞われて亡くなりました。
ウィリー・ポスト(左)とハロルド・ギャティ(右) モスクワに向かう直前の中継地、ベルリン-テンペルホフにて1931年6月撮影。