1832年から続く

時計製造の歴史

計時の専門技術

受け継がれるパイオニア精神

ロンジンの物語は、創業以来、パイオニア精神、精度の探求、そしてエレガンスに対するタイムレスなビジョンと共に紐解かれていきます。これによって、世界各国の著名な第一人者やスポーツ団体が、ロンジンのタイムピースおよび計時に関する専門知識を求めるようになりました。

ビデオを再生
スクロールして続ける

ファミリービジネスから
グローバルブランドへ

image-bg
Legacy Father

オーギュスト・アガシとアーネスト・フランシロン - ロンジンの創業者たち

オーギュスト・アガシ(1809-1877)は、1832年に仲間の時計職人たちと、スイスのサンティミエという小さな村に自分たちの工房を構えました。当時、部品は時計職人の自宅で製造されてから、工房で組み立てられていました。

1852年、彼の甥であるアーネスト・フランシロンが工房の経営を引き継ぎました。先見の明があったアーネストは、自社工場を設立することを決意。彼は、有能な職人たちを一つ屋根の下に集めただけでなく、機械化された生産体制を確立し、最高の品質と精度を確実なものとしました。

ロンジンの工場

アーネストは、サンティミエの通称「Les Longines(細長い原野)」と呼ばれる土地に自社工場を建設しました。この土地の名称が社名の由来となり、ロンジン ブランドが誕生しました。

ロンジンの工場は1867年から製造を開始し、それ以来、現在も同じ場所で操業を続けています。

1867年
Legacy Factory

1867年

Legacy Factory

1911年

Legacy Factory

1966年

Legacy Factory

今日

時計製造業界で最も古い商標

アーネストは、自社製品を偽造品から保護することでもパイオニアとなりました。彼は自社工場から出荷されるすべてのタイムピースに、シリアル番号と、商標名である「Longines」の文字、そして翼のついた砂時計のロゴを刻印しました。

1880年に商標保護法がスイスで導入されるとすぐに、アーネストはブランド名の「Longines」を商標登録しました。1889年、アーネストは新しく設立されたスイス連邦知的財産局(OFPI)にブランド名の「Longines」と翼のついた砂時計のロゴを商標登録しました。世界知的所有権機関(WIPO)の前身である国際事務局が新たに設立されると、彼はこれにブランド名とロゴを登録し、国際的な保護も受けるようになりました。

logo1867
logo1874
logo1881
logo1882
logo1889
logo1905
logo1925
logo1930
logo1940
logo1942
logo1954
logo1957
logo1965
logo1974

ロンジンは WIPOに登録されたブランド名の中で、現在も同じ商標で使用されている最古の国際時計ブランドとなっています。

ロンジンの時計製造におけるマイルストーン
1878年
1908年
1911年
1913年
1925年
1925年
1928年
1931年
1936年
1937年
1942年
1954年
1957年
1959年
1959年
1967年
1969年
1979年
1992年
1997年
2005年
2020年
ロンジン初のクロノグラフ機能が搭載されたポケットウォッチ
ロンジン初のクロノグラフ機能が搭載されたポケットウォッチ

「20Hキャリバー」は、ロンジンが製造した初の計時機能を備えた機構です。 このキャリバーを搭載したストップウォッチは、騎手と騎乗馬が刻印されたケースに収められ、1880年代にはアメリカの競馬場でも見られるようになりました。

2つのタイムゾーンを表示する初の 
 ポケットウォッチ
2つのタイムゾーンを表示する初の ポケットウォッチ

このタイムピースには分針と時針がダブルで配されており、コンスタンティノープル(現在のトルコ)でトルコ時間と西洋時間の換算のために使用されていました。 1911年には特許を申請しました。

世界初のリストクロノグラフ
世界初のリストクロノグラフ

ロシアのパイロット用に製造された初期のリストクロノグラフには、ロンジン キャリバー 19.73Nが搭載されていました。

腕時計用としてロンジン初の 
 コンパクトサイズのクロノグラフキャリバー
腕時計用としてロンジン初の コンパクトサイズのクロノグラフキャリバー

直径29mmのキャリバー13.33Zは、現代のクロノグラフの原型と言えるでしょう。アメリカ人パイロットのパイオニア、アメリア・イアハートは、1928年および1932年の2回の大西洋横断飛行でこのモデルを着用していました。

第二時間帯を表示する
 初の腕時計
第二時間帯を表示する 初の腕時計

この時計は、船舶の無線通信士が、現地時刻を世界共通の時刻(UTC+0またはズールータイム)に変換するために、時針を追加して使用したものです。2つの赤いくさびは、緊急通報用に電波封止状態にあることを示しています。

2つの独立したプッシュボタンと
  フライバック機能を備えた 
 初の腕時計型クロノグラフ
2つの独立したプッシュボタンと フライバック機能を備えた 初の腕時計型クロノグラフ

このフライバック機構によって、プッシュボタンを1度押すだけでリセットと新たな時間計測を開始することができます。飛行段階を正確に測定すること、さらに高速飛行中に次の段階の計測をスタートできることは飛行士にとって重要な機能でした。写真のモデルは1928年に製作されたものです。

回転式インナーベゼルを備えた革新的なパイロットウォッチ
回転式インナーベゼルを備えた革新的なパイロットウォッチ

ロンジン ウィームス セコンドセッティング ウォッチと呼ばれるこのモデルは、アメリカ軍将校のフィリップ・ヴァン・ホーン・ウィームス(1889-1979)とのコラボレーションによって開発されました。このタイムピースは、多くの航海士やパイロットたちの人気を集めました。着用者は、回転式インナーダイヤルを使って時計をラジオの時報と同期させることができました。この機能によって、航海中または飛行中に重要となる、正確な時刻を知ることができるようになりました。

回転ベゼルに刻印を施した 
 初の腕時計
回転ベゼルに刻印を施した 初の腕時計

このタイムピースは、1927年に北大西洋単独無着陸横断飛行に成功したことで有名なパイロット、チャールズ・A・リンドバーグに着想を得て製作されました。リンドバーグ アワーアングル ウォッチと呼ばれるこの時計は、六分儀および航海暦と共に使用し、飛行士が星の位置から自分の地理的位置を計算するのに使用されました。

フライバック機能を備えた
  初のシリアル番号入りクロノグラフ
フライバック機能を備えた 初のシリアル番号入りクロノグラフ

キャリバー 13ZNと呼ばれるこのモデルは、当時の最先端技術を備えたクロノグラフ ムーブメントの1つでした。ロンジンは1935年にフライバック機構の特許を申請し、1936年にこれが認められました。

初の完全防水クロノグラフ
初の完全防水クロノグラフ

このアイコニックなクロノグラフには、独自のマッシュルーム型プッシュボタンが備わっており、時計の防水性が確保されていました。1938年に特許を申請しています。

クロノグラフムーブメント13ZNの特別仕様モデル
クロノグラフムーブメント13ZNの特別仕様モデル

キャリバー13ZN12と呼ばれるこのクロノグラフは、中央の赤い大型針で60分の経過時間を表示します。通常使われるサブダイヤルでの表示よりも読み取りやすく、さらには、右側のサブダイヤルに12時間カウンターも備わっていました。

初のロンジン製品ファミリーを 
 発表
初のロンジン製品ファミリーを 発表

コンクエスト コレクションは、新製品開発戦略の第1歩として 製品ファミリーを導入するきっかけとなりました。コンクエストは1954年4月3日にスイスで商標登録され、ロンジン初の製品ファミリーが確立されました。

2つ目のロンジン製品ファミリーを
 発表
2つ目のロンジン製品ファミリーを 発表

エレガントなフラッグシップ コレクションは、ケースバックに帆船が刻印されたメダリオンが特徴的です。

回転式インナーディスクを備えたアイコニックな 
 ダイバーズウォッチ
回転式インナーディスクを備えたアイコニックな ダイバーズウォッチ

現在レジェント ダイバーと呼ばれるこのタイムピースは、120m防水を備え、2つ目のリューズで操作する両方向回転式インナーディスクが搭載されていました。また、ディスクは内蔵タイプにすることで、水中の障害物から保護することが可能になりました。

世界初の高振動リストクロノメーター
世界初の高振動リストクロノメーター

毎時36,000振動するこのキャリバー360は、1961年、 ヌーシャテル天文台の精度コンクールで1位と2位を獲得しました。

高振動で最も正確な機械式腕時計
高振動で最も正確な機械式腕時計

ウルトラクロンと名付けられたこのモデルは、クロノメーター以上の精度を誇ります。この高振動時計は、1日2秒に相当する「1ヵ月で1分」の誤差しか発生しない精度が保証されていました。毎時36,000振動するこのモデルは、キャリバー360に着想を得ており、新しい電子機器やクォーツムーブメントに代わる機構として使用されていました。

初のクォーツ駆動の腕時計
初のクォーツ駆動の腕時計

ウルトラクォーツと呼ばれるこのモデルは、当時のどの腕時計よりも高い精度を実現していました。ロンジンは、このタイムピース用に独自のクォーツムーブメントを開発しました。

厚さ2mm以下を実現した 
 初のタイムピース
厚さ2mm以下を実現した 初のタイムピース

「金色の葉」を意味するフォイユドールと名付けられたこのクォーツウォッチは、わずか1.98mmの厚さしかありませんでした。まさに偉大な技術力の結晶です。

ユニークなラグを備えた 
 エレガントかつスリムなアイコニックなタイムピース
ユニークなラグを備えた エレガントかつスリムなアイコニックなタイムピース

ラ グラン クラシック ドゥ ロンジンと名付けられたこのモデルは、ロンジンのクラシカルなエレガンスとタイムレスな洗練を象徴しています。

レクタンギュラーシェイプのアイコニックなタイムピース
レクタンギュラーシェイプのアイコニックなタイムピース

ロンジン ドルチェヴィータと名付けられたこのモデルは、1920年代のレクタンギュラーモデルに着想を得ていました。このシリーズは、イタリアの「甘い生活(ドルチェヴィータ)」の精神を表現しています。

ロンジンの時計製造の伝統を 
 称えるモデル
ロンジンの時計製造の伝統を 称えるモデル

すべてのモデルに機械式ムーブメントを搭載したロンジン マスター コレクションを発表。

航空業界におけるロンジンのパイオニアとしての 
 遺産に捧げるオマージュ
航空業界におけるロンジンのパイオニアとしての 遺産に捧げるオマージュ

ロンジン スピリット コレクションと名付けられたこのシリーズは、それぞれの偉業を達成するためにロンジンに信頼を寄せた航空業界のパイオニアたちのタイムピースを再現しています。

ドラッグして探索
1878年
2020年
ロンジンの計時におけるマイルストーン
1912年
1914年
1916年
1945年
1949年
1953年
1956年
1956年
2010年
スタートラインおよびゴールライン用に開発された
  最初の電子機器によるスポーツ計時システム
スタートラインおよびゴールライン用に開発された 最初の電子機器によるスポーツ計時システム

この装置は、バーゼルで開催された連邦体操大会で初めて導入されました。アスリートによってワイヤーが切られると、それぞれタイマーが開始または停止する仕組みになっていました。

毎時36,000回の高振動周波数ムーブメントを搭載した初のストップウォッチ
毎時36,000回の高振動周波数ムーブメントを搭載した初のストップウォッチ

これによって、10分の1秒単位の計測が行われました。

毎時360,000回の高振動周波数ムーブメントを搭載した初のストップウォッチ
毎時360,000回の高振動周波数ムーブメントを搭載した初のストップウォッチ

これによって、100分の1秒単位の計測が行われました。

光電子セルベースの光線バリア装置
光電子セルベースの光線バリア装置

1937年に続いて、ロンジンはモンタナ州で開催されたスキー大会でこのシステムを導入しました。 従来のワイヤーを切る装置に代わって、光線を遮断することでクロノグラフのプッシュボタンが動作する仕組みになっています。

ロンジン初のスポーツ計時用クォーツ時計が搭載された全自動測定器
ロンジン初のスポーツ計時用クォーツ時計が搭載された全自動測定器

クロノカメラと名付けられたこの高精度機器は、信号に瞬時に反応し、4秒で撮影した時間を表示。順位、スタート/ゴール時の人数、時、分、秒、100分の1秒を記録しました。

ゴールラインでのスポーツ計時用にクォーツ時計を組み合わせた革新的なシステム
ゴールラインでのスポーツ計時用にクォーツ時計を組み合わせた革新的なシステム

ロンジン クロノシネジンと名付けられたこのシステムは、クォーツ時計に 16mmカメラを搭載していました。この革新的な装置は、アスリートたちがゴールラインに近づき、通過するまでの一連の画像を100分の1秒単位で撮影することで写真判定を可能にしました。これは、誰が最初にゴールラインを通過したのかを判別するの非常に役立ちました。

クォーツ時計と組み合わせてゴール地点での永続的な記録を可能に
クォーツ時計と組み合わせてゴール地点での永続的な記録を可能に

コンティフォートと名付けられたこのシステムは、ゴールラインでのアスリートのタイムとそれぞれの位置を撮影するものでした。これによって、100分の1秒単位でのタイムの撮影が可能になりました。

クォーツデバイスをベースとしたダブルトラックプリンター搭載のクロノグラフ
クォーツデバイスをベースとしたダブルトラックプリンター搭載のクロノグラフ

クロノタイポジンと名付けられたこの高精度装置は紙片にタイムを記録するものでした。時、分、秒、10分の1秒、100分の1秒単位での印刷が可能であり、さらには1000分の1秒単位での印刷も実現可能となっていました。ヌーシャテル天文台で精度の高さが証明されており、世界レベルのスピードを計時し、記録するのに使用されました。

100万分の1秒単位を計測する高精度機器
100万分の1秒単位を計測する高精度機器

クァンタムタイマーと名付けられたこの装置は、スポーツ計時の新たな基準となりました。

ドラッグして探索
1912年
2010年

arrow-right

乗馬スポーツの計時

1912年から現在まで

創業当時から今日に至るまで、ロンジンは常に乗馬スポーツの世界と密接な関係を築いてきました。1878年に発表されたロンジン初のクロノグラフムーブメントは、騎手と馬が刻印されたケースに収められています。これらのストップウォッチは、1880年代にアメリカの競馬場で使われていたものであり、騎手や馬好きの人々の間で人気を博していました。

watch

1912年、ロンジンはポルトガルのリスボンで開催された障害飛越競技大会に初めて公式パートナーとして関わるという新たな一歩を踏み出しました。 ロンジンが開発した計時装置の品質と信頼性は、長年に渡って数え切れないほどの馬術スポーツに貢献してきました。

photographer
horse

2013年から、ロンジンは国際馬術連盟(FEI)の公式タイムキーパーおよび公式ウォッチを務めています。

アルペンスキーの計時

1924年から現在まで

雪山でのスキーは、ロンジンの母国スイスで最も人気のあるスポーツの1つです。 1924年、ロンジンはスイスで初のスキー大会で計時を行いました。その数年後、サンティミエで製作されたストップウォッチが、フランスのシャモニーで開催された世界スキー選手権大会で計時に使用されました。

ロンジンは長年に渡って、アルペンスキー競技が必要とする機能を備えた革新的な主要装置を開発してきました。高振動周波数ムーブメントとスプリットセコンド針を備えたスキー用タイマー(1939年)、電気機械式ゲート(1950年)、世界中のテレビ画面に競技結果を直接表示できる装置(1971年)などです。

skier
skier-mobile

2006年以降、ロンジンは国際スキー連盟(FIS)の公式メインパートナーおよび公式タイムキーパーを務めています。 ロンジンは現在でも、アルペンスキーワールドカップおよび世界選手権のすべての大会で計時を担当しています。

F1の計時

1933~1992年

1949年、ロンジンが100分の1秒単位で計測し、タイムを撮影できる全自動計器、クロノカメラを発表。1950年には国際自動車連盟が採用したことも納得の優れた製品でした。

同年F1が初開催され、ロンジンは米国で開催された有名なモナコ グランプリの計時を担当しました。ロンジンは1930年代にすでに自動車レースの計時を行っていましたが、F1がまだなかったため、これらは「グランプリ」と呼ばれていました。

formula
car

1980年代の初め、ロンジンは各自動車を個別に計測する新しい計器を開発。これはすぐに国際自動車連盟に導入されました。

commentator

これによって、ロンジンは1982年から1992年までのすべてのF1レースで公式タイムキーパーを務めました。

ラリー競技の計時

1949~1985年

1949年1月、ヨーロッパ中から車両が集まり、第二次世界大戦後初となるラリー・モンテカルロが開催されました。30年に渡って計時を行ってきたロンジンが、今回も計時を担当しました。

1955年、サンティミエで製作された特殊なパンチプリント機器、プリントジンを発表。8日間のパワーリザーブを備えた時計が付属したこの機器は、5000km以上のコースに設けられた各チェックポイントで競技者が管理カードに打刻できるようになっていました。この信頼性が高く堅牢な機器によって、パイロットが記録したすべてのチェックポイントの通過タイムをベースに正式な優勝タイムが決定されます。その有用性から、ロンジンは当時の有名ラリーすべての計時を任されたほどでした。

rallye
rallyeStart

ケープ・デ・ザルプ、英国のRACラリー、ポルトガルのTAPラリー、フィンランドのサウザンド・レイクス、ギリシャのラリー・アクロポリス、アフリカのラリー・ド・コートジボワールなど、ロンジンは1985年まで名だたるレースの計時に起用されました。

サイクリングレースの計時

1951~1987年

1951年、ロンジンは世界的なサイクリングレース、ツール・ド・フランスの計時を依頼されました。

bycicle race

同年F1が初開催され、ロンジンは米国で開催された有名なモナコ グランプリの計時を担当しました。ロンジンは1930年代にすでに自動車レースの計時を行っていましたが、F1がまだなかったため、これらは「グランプリ」と呼ばれていました。

1980年代の初め、ロンジンは各自動車を個別に計測する新しい計器を開発。これはすぐに国際自動車連盟に導入されました。

これによって、ロンジンは1982年から1992年までのすべてのF1レースで公式タイムキーパーを務めました。

chrono

35年以上に渡って、ロンジンはこの伝説的なサイクリングレースの公式タイムキーパーを務めています。

コモンウェルスゲームズの 計時

1962年から現在まで

1962年から、ロンジンはコモンウェルスゲームズの公式パートナーおよびタイムキーパーを務めています。 各大会で、ロンジンのタイムキーパー、スコアラー、スポーツ スペシャリスト、データハンドラーは、それぞれの専門知識とデバイスを駆使して、スポーツ連盟や連邦各国から集まる才能あるアスリートたちに貢献しています。2022年大会の計時に関しては、専門技術を有する200人以上から成る専任チームが担当しました。

swim
running rowing

このパートナーシップは、ロンジンの計時機器の精巧さと正確さを際立たせるものです。

トップへ戻る

次のセクション
A Watchmaking History
timekeeping
に移動
次のセクション
timekeeping

ロンジン:今なお息づく、
パイオニア精神

1832年の創業以来、ロンジンはパイオニア精神を特徴としています。常に時計の精度、正確さ、機能性の向上に努めてきました。その結果、全く先駆的な時計製造が実現したのです。
image image
1832年にスイスのジュラ地方の真ん中に位置するサンティミエで創業したロンジンは、1878年にスポーツイベントの計時に使用する初の計器を開発しました。 1880年代は、米国の競馬に始まるロンジンのスポーツ計時の輝かしい歴史の幕開けとなったのです。ほぼあらゆる分野のスポーツイベントのオフィシャルタイムキーパーとして、そして飛行士、航海士、探検家、アスリートなどプロフェッショナル向けの計器のメーカーとして、ロンジンは常に自社のウォッチの正確さ、精密さ、そして機能性の向上に取り組み続けました。その結果、極めて先駆的な時計作りへの道が開かれたのです。

次のチャプターでは、ロンジンの精密な計時機能とそれに信頼を置いた先駆者たちの冒険について紹介します。物語に登場する時計の数々は、新聞の見出しを飾るためではなく、当時手に入る最も優れたツールを探し求めていた飛行士や冒険家たちのニーズに応えるために作られました。先駆者となるために重要なものは、過去もそして現在も、第一に「心の状態」です。この小冊子に描かれる勇敢な人々は皆、同じ精神力を共有しています。この精神力が、あらゆる障害や限界の克服を可能にするのです。
ロンジンは、このようなプロフェッショナル向けの時計の製造を通じて多くを学び、そのノウハウを腕時計に移し込みました。その際には、多くの場合ウォッチの心臓部であるムーブメントを再設計し、小型化する必要がありました。ロンジンの時計職人たちはまさに新しい道を切り開きました。1913年に世界初の腕時計式クロノグラフ、1929年に36,000回/時の初のハイビートのポケットクロノグラフ(キャリバー18.72)、1931年に世界初のベゼルが回転する腕時計を製造し、1936年には世界初のフライバッククロノグラフの特許を申請しました。さらに、スポーツイベントにおける計時の精度を高めるために、1954年にロンジンは電子式クオーツ時計を発表しました。このノウハウを駆使して、ロンジンは1969年にクオーツ式腕時計の走りとなるウォッチを作りはじめました。

世界選手権大会のオフィシャルタイムキーパーとして何世代にもわたる経験を持ち、数々の国際競技連盟のパートナーでもあるロンジンは、スポーツ界において長期的かつ強固な関係を築いています。数々のチャレンジを通じて、イノベーションの推進力と先駆的精神が止まることなく豊かに息づいているのです。

ロンジンは、プロフェッショナルウォッチの製作を通じて多くのことを学び、そのノウハウを腕時計に転用しました。そのためには、時計の心臓部であるムーブメントを再設計し、小型化する必要がありました。1913年には初の腕時計クロノグラフを、1929年には毎時36,000振動のポケット・クロノグラフ(cal.18.72)を、1931年には回転ベゼルを備えた世界初の腕時計を、そして1936年には世界初のフライバック・クロノグラフの特許を取得し、時計製造の道を切り開きました。スポーツイベントの計時精度を向上させるため、ロンジンは1954年に電子クオーツ時計を発表しました。このノウハウを生かし、ロンジンは1969年に世界初のクォーツ腕時計を発表しました。

世界選手権の公式計時担当として、また国際スポーツ連盟のパートナーとして、ロンジンは何世代にもわたる経験を積み重ね、長年にわたりスポーツの世界で強固で長期的な関係を築いてきました。このような挑戦の中で、革新への意欲とパイオニアスピリットが常に息づいています。
image
オーギュスト・アガシとアーネスト・フランシロン
創業者オーギュスト・アガシとその甥、アーネスト・フランシロンはロンジンの先駆者です。この二人はロンジンという会社、周辺地域、そしてスイス全体の時計産業に大きな影響を与えました。
image
アメリア・ イアハート
恐れを知らない女性飛行家。新記録を樹立し、機上における勇気の象徴となりました。そして洋上を飛行中に姿を消したのです。
image
エリノア・ スミス
史上最年少でライセンスを取得した飛行士、エリノア・スミスは多くの世界記録を打ち立てました。記録更新を目指したある飛行では、高度2万6,000フィート(7,900m)で意識を失い、飛行機は真っ逆さまに急降下しましたが、最後の瞬間に目を覚ましたのです。
image
ヴァルター・ ミッテルホルツァー
キリマンジャロ上空を飛行した最初のパイロット。この先駆者は、画期的な航空写真で新しい視点をもたらしてくれました。後に国営航空会社、Swissair(スイス航空)の共同設立者となりました。
image
チャールズ・リンドバーグ
「やったぞ。」ニューヨークからパリまで33時間の無着陸飛行を成功させた後、この飛行家はシンプルにこう言いました。歴史の1ページをめくる世界初の快挙でした。
image
フィリップ・ヴァン・ホーン・ウィームス
発明の才に長けた米国の海軍将校。最も有名なパイロットたちに、正確なロンジンのウォッチ、六分儀、星を活用して、空中を航行する方法を教えました。
image
エイミー・ジョンソン
このイギリスで最も有名な飛行家は、イギリスからオーストラリアの単独飛行を行った最初の女性でした。いくつもの最速記録を打ち立て、イギリス空軍に勤務しました。
image
ルース・ニコルズ
速度、高度、距離の世界記録を同時に保持した唯一の女性飛行家。
image
デュドネ・コストとジョセフ・ルブリ
image
デュドネ・コストとモーリス・ ベロント
image
ポール・コドスとモーリス・ロッシ
image
クライド・パングボーン&ヒュー・ハーンドン
この2人のアメリカ人飛行士は、1931年に初の太平洋無着陸横断飛行に成功しました。彼らは日本を出発し、41時間後にアメリカに着陸。重量を減らすために、彼らは靴も履かず、飛行機の着陸装置も乗せずに飛行しました。
image
ハワード・ヒューズ
このアメリカの実業界の大物は、映画制作者としても高く評価され、その後は記録破りのパイロット、そして航空業界の重要人物としてさらに有名になりました。
image
リチャード・バードとフロイド・ベネット
この海軍将校と彼のチーフパイロットは南極圏を初めて探検しました。
image
ウィリー・ポスト
image
ハンス・フォン・シラー
image
ポール=エミール・ヴィクトール
image
ルイージ=アメデ・ディ・サヴォイア
1899年という早い時期に、北極探検を決意したイタリアの王族。氷の中を航行するために、その信頼性で知られていたロンジンのクロノメーターを彼のチームに装備しました。この先駆者たちは目的達成には失敗したものの、「生き延びる」という大いなる功績を残しました。
image
ジョゼフ=エルゼア・ベルニエ
17歳で船長となったジョゼフ=エルゼア・ベルニエは、小説からそのまま抜け出たような人物です。極北の地図作成に重要な役割を果たした彼が常に冒険の友としていたのは、信頼に足るロンジンのクロノメーターでした。
image
オーギュスト&ジャック・ピカール
科学者オーギュスト・ピカールとその息子ジャックは、バチスカーフ(深海潜水艇)で最も深い水深に到達しました。彼らはロンジンの正確性を信頼しました。ジャック・ピカールが海洋の海底最深部に到達した際には、ロンジンのストップウォッチがバラストタンクの起動の計測に使われました。
image
史蒂夫·麦金尼
滑降(ダウンヒル)で初めて時速124マイル(200 km)を突破しました。ヨガで心を鍛えたスピードチャンピオンです。
image
マルコム&ドナルド・キャンベル
さらに先へ進むこと。多くの先駆者たちが自らに課した挑戦でした。キャンベル親子の目標はさらに速く進むこと。最速記録の樹立に人生を捧げたマルコムとその息子、ドナルドは、信頼できるロンジンのクロノメーターを愛用しました。
image
ル・マン24時間レース
最も重要な自動車耐久レース。1960年代はフォードとフェラーリの熱狂的な戦いの場でした。そして、その計時を行なっていたのはロンジンです。
image
ラリースポーツの先駆者
ラリーの黎明期、ドライバーは自らの技術を頼りに、でこぼこ道や埃まみれの道を公道仕様車で疾走しました。クープ・デ・ザルプやギリシャのアクロポリスから、英国の王立自動車クラブ(RAC)やカナディアン・ラリーまで、ロンジンは計時を務めていました。
image
ラリー・モンテカルロ
裕福な顧客を冬のモナコのカジノに呼び寄せるために100年以上前に開始された華やかなラリーイベントは、モータースポーツ界の伝説的な存在となりました。その黄金時代、チュリニ峠の凍結した道は、ロンジンが計時したポルシェとフレンチブルーのアルピーヌの間で繰り広げられた激闘の舞台となりました。
image
フォーミュラ・ワンの計時
グランプリは、モナコなどの有名なトラックを最速のシングルシーターが疾走する究極のモータースポーツレースです。ロンジンは60年にわたってレースのタイムキーパーを務め、絶えず精度の向上を追求しました。
image
フェラーリとのパートナーシップ
伝説のレーシングカーメーカーは、フォーミュラ・ワンのサーキットでも、イタリア・フィオラノにある自社のテストトラックでも、ロンジンの計時に頼っていました。
image
ルノーとのレース
フランスのレーシングチームは、ロンジンを計時パートナーに迎え、フォーミュラ・ワンにターボエンジンをもたらすという先駆的な役割を果たしました。
image
乗馬スポーツの計時
19世紀の創業当初から今日まで、ロンジンは常に馬の世界と密接に関わってきました。ロンジンは世界中の数多くの乗馬イベントで計時を担当しています。
image
数々の先駆者やパイロットたちをサポートしてきたロンジンのマイルストーン
このコレクションは、ロンジンにより冒険家やパイロット、そしてスポーツ計時に向けて作られた初期のタイムピースです。ロンジンは、フライバッククロノグラフやセンターミニッツカウンターを開発した最初の時計ブランドであり、これらは技術的特許を獲得しています。
image
クレジット
スミソニアン研究所 航空部門のロジャー・コナー氏、アラン・ジュルダン氏、タマラ・マッキーニー氏、ルシアン・トゥルエブ氏の貴重な貢献と支援に感謝いたします。
次のセクション
legacy